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脳卒中患者だった理学療法士、小林純也さんに会いに

日付の順番が前後しますが、
先日脳梗塞リハビリステーション
開設2周年記念シンポジウムに
参加してきました。

講師をされたのは、
ご自身が脳卒中の経験があり、
その後理学療法士の資格を取られた
小林純也さんです。

失礼ながらこれまで存じ上げなかったのですが
今回お会いできたことでとても
自分の中にある考えと向き合うきっかけになったので
記載しておきたいと思います。

まず、小林さんがお話しされていた内容ですが、「セラピストは主観として症状はわからない」ということです。これは私本当に学生時代から痛感していたことなのです。私は大きな病気もしたことがなければ、骨折などの大きな怪我も経験ありません。部活での怪我、故障はあるものの、日常生活に大きな支障はなかったです。一番動けなくなったといえば、2人目以降の産後の状態でしょうか。

学生時代の実習から脳卒中の患者さんを担当させていただいたことを皮切りに、15年以上脳卒中の患者さんのリハビリを担当してきましたが、本当に様々な症状の方がいらっしゃいます。その様々な症状を克服していくためにリハビリをする患者さんをサポートするのが理学療法士の役目と考え、臨床の現場では働いてきました。セラピストは、毎日のようにリハビリで顔を合わせます。長い方では1時間以上のリハビリだったりするので、必然的にリハビリ以外の話をする機会も多くなります。この話というのが、実はとても重要なもので、リハビリや退院後の方向性を決めていく鍵となったり、そのためにどのような訓練が必要なのかを選択するヒントになります。

もちろん、しっかりとお話しされる患者さんからは、直接話の中で内容を選択していきます。それでもリハの時間は限られているわけですし、希望されることの中から共通する要素はないか、この方の性格だったらどれくらいの負荷をかけられるかなど、幅や強度を見ていくことも必要です。

自分がやってきた陸上競技の場合だと、200M×5本と言われると、大体どれくらいのキツさかがわかりますので、そこから逆算してメニューを決めることができますが、麻痺がある患者さんが10Mを3本歩く、というのは、全く実感としてキツさがわからないのが、本音です。

今回、小林さんは麻痺側を動かすことについて
「プールや海で、わーっ!!と遊んで上がった後みたいな重さ」ということだったり、ほかの麻痺の患者さんがおっしゃられてた「歩いているときに2、3人の人から足を引っ張られているみたい」ということなどを紹介してくれました。そして、実際に参加者の方でやってみることに。なんと光栄なことに、その代表にえらばれましてwww こちらの辻さんという男性の方の足を引っ張らせて頂きました。往復して終わった、、、と思いきや、「逆行きましょう!」とwww

*ちなみにやったのはスライドのこのすがり方ではないですよw

私は体幹や上肢が問題ないのでなんとか動かすことができますが、半身が麻痺だと体幹も力が入らず、「足に重りがついている」という感覚だけではないはずなのですよね。おそらく健側で踏ん張ろうとしても、お腹にも力が入らない、どうしていいのかわからない、それでなんとか動かすとセラピストから『もっと膝あげて」と言われるとか。

そんな感じになるのかな?とおもいました。これ、セラピストは全員やってみるといいよ!

それから、ご自分の入院すぐの話をして、「もう死にたい死にたいと思っていたけれど、病棟の看護師さんに声をかけられたりすると笑顔で返していた」というお話も聞かせてくれました。一般的には死にたいって思っているときって、例えばひどい鬱病の時なんかだったりすると、イメージとしては表情もなく口も聞かず籠っていて。。。みたいなものだったりするのですが、小林さんはこの「死にたい」と思う気持ちと笑顔でいる自分が同時期にあったと教えてくれました。なんだろう、そんな時でさえも気を使うのでしょうか。心と裏腹に大丈夫な自分、頑張っている自分を見せてしまうのでしょう。「氷山の一角」という話をしてたのがすごく印象的でした。

 

こんな感じ。

そして、この話を聞いて思い出したのが、震災後によく聞いていた「泣けない」という話。おそらくテレビで見たと思うのですが、避難場所にいて子供が行方不明で辛いのだけれど、隣の人は家族全員無くされている。だから自分は悲しんではいけないんだと思う、泣いてはいけない、みたいな話があったそうなのですね。

いやいや、と思うのだけど、これは日本人特有なのでしょうか。そんな状況でさえも「人ファースト」だったりするのです。明らかに自分の心を置いてけぼりにしている状況なのですが、そうする人はするのです。そして、発症直後なのだとしたら、何をどうしていいのかもわからないでしょうから、ひとまず普段やっているようにやっておく、なのかもしれないですね。

人は、元々に持っている素材が違います。資質として、動じ辛い方もいますし、些細なことで動揺される方もいる。それを何もおもわず表面に出す人もいれば、自然と出さないようにする人、すごく努力して出さないようにする人、本当に様々。

だから、私たちセラピストは「笑顔の裏に抱えている気持ち」というのをおもんばかっていく必要があるのです。それは人としてはもちろん、セラピストという職業についているのならばやらなくてはいけない仕事とすら思っています。

私は現在、病院勤務はしていませんが、ヨガを教えているので、人の心というのにはとても重きをおいています。ポーズをとることそのものに興味を持ってきてくださっている方もいると思うのですが、「ヨガ」に興味を持つ方の多くは「自分のことを知りたい」とか「ヨガをすることで楽になりたい」という方もいらっしゃるように感じます。私自身もそうでしたしね。だとすれば、心の中に抱えているものがあるからこそ、そういう考えになるわけなので、氷山の見えない部分に抱えているものがあることをイメージしながらお話しすることもあります。そして、ヨガの教えや実際の経験をお伝えすることが、そのストレスになっているものを自然に手放していけるきっかけになれることもあると思うので、プライベートレッスンなんかだとその時間も大切にしたいと思うのです。生徒さんから言われなければ直接的に探ったり触れることはありませんが。

今日はひとまずこれまで