気づきを得ることができるのはどんなとき?

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基本の『き』から教えてくれる、の定評をいただいております、松隈美穂です^^

ピラティスも6回目?くらいになり、動きそのものは慣れてきた感じ。
ヨガもそうなんだけど、鏡を見たり写真にとったものを見ることで知らなかったことに気づくことがある。でも、初めてそのことに触れる時って特別疑問視しないんだけど、他の場面でもそのことに触れられたり、もう一度自分で自覚したときに初めて自分の中に起こっている物事として捉える気がする。私の場合は、フライヤーの写真を以前とったときに、あげた脚の膝が伸ばしたつもりだったのに曲がって写っていて、あー、力入れれてなかったかな?くらいで流していたんだけど、数ヶ月前に研修に行ったときに仰向けに寝ているときに、「膝に伸展制限があるね」って言われて、そういえばこの言葉、何年か前にも同じ講師の方から言われたことがあるのを思い出して、さらに今回ピラティスを受けるときにはいつも鏡があってそこで自分の姿をみる。そうすると、「あ、私膝曲がってるんだな」ってストンと自分の中に落ちてきた。手を抜いて膝を伸ばしてなかったんじゃなくて、伸ばせない構造を体の中に作ってしまってるんだなっていう、問題意識として入ってきた。普段は痛みや痺れがないから困ってなくて、でも膝が伸びなくなることでの次に起こる問題はこれまで多くの症例さんを見てきてる。そのスタート段階に自分がいる気がして、これは変えないとなって思って1年くらいかけて取り組んで行こうと思っている。ちなみに、ピラティスを始めたタイミングで、違う動きが生活に入ってきたからか、右膝が痛むようになってきた。これも、はじめは何か引っかかっているくらいの痛みでそんなに気にしていなかったのだけど、同じ動きでいつも痛むようになってきてからはすごく気になるようになった。私は、体の痛みを見るときは、心理的なものも見ていくようにしている。理学療法士らしからぬことだと自分でも思うのだけれど、心と体は繋がっていると考えるし、実際にメンタル的なことが原因の大きな要因となっていることもあったりする。ヨガの中では、右は男性性で左が女性性を表す。何千年も前から言われてきていることには、科学的に証明するのは難しいことかもしれないけど何か根拠があると思う。これだけに偏るのはよくないと思うけど、大きく物事を見ていくときには参考にしていくと全て繋がったりするから面白い。今回の痛みが起こった時も、実は私は夫にただならぬ怒りを覚えていて、一過性に終わるものではなく1週間ほど顔を見なかったくらいのもの。そのまま続けることもできたけど、痛みが起こったタイミングがあまりにその発端の喧嘩があったときに始まっているので、今回はピラティスの動きで変わったというよりもメンタル面での原因の方が大きい?と思って、夫に治療を頼みがてら色々と話してみた。そうすると夫の中にも色々と抱え込んだものがあったようで、お互いの思いを話すことで楽に慣れた気がした。そうすると、次の日には全く痛みはなくて、もう本当にびっくりする。もちろん、治療してもらったことも大きく影響していると思うけど、あの流れでなかったら話もそんなにできなかったかもということを考えると、どちらも大切なことなんだろうと思うし、何が決め手となって効いたのかなんてどうでもいい。私たちはこうやって、自分の体を通して全てのことを知るのだろうと感じる。心の問題であったとしても、こうやって体に影響が出てくるのだから、結果的に身体を通して感じていることになる。だから、体を鈍感にさせておいてはいけないのだ。体で感じれなかった部分は、体の中に積もって、積もって大きなものになって症状として現れる頃には結構大変なことになっているってことも少なくない。何か違和感があるとき、自分の感性を信じて「これはおかしい」と感じることで、変えるために動くことができるのだから、心も体も常に軽く抱えるものはできるだけ少なくしておくのがいいと思う。さて、ピラティスは、ロールアップこそできないものの今行っているクラスは私には軽すぎる感じがしてきた。これくらい余裕を持って受けていた方がいいのか、次の日軽く筋肉痛くるくらいの負荷があるものにした方がいいのか、現状と照らし合わせて考えると悩みもするが、もう少しクラスも残っているのでクラスの進みもみてから考えることにしよう。

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