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病院勤めを辞めて3年の節目で感じること

先日、Facebookで3年前の記事というのが上がってきていました。

この機能、全くアップしたことも忘れてしまっていることを、
思い出させてくれますので、ありがたいなーと思います。

これは、シェアした後の写真。

そんなタイミングで、以前ノートに書いた
殴り書きのようなメモを見つけてしまって。

恥ずかしいような気もするけど
今読んでも、その通りだなーと感じたので、
記載しておきたいと思います。

ここから↓↓↓↓↓

病院の仕事を辞めて1年以上があっという間に経っていた

OMYOGAのTT、出産、回復期を経てヨガを伝えだし早半年。

雇われでは感じること、考えることなどなかったことを経験し、
自分自身も少しづつ変わってきた。

大切なものが変わった

優先すべきものが変わった

人を見る目が変わった

お金への思いが変わった

時間の使い方が変わった

自分自身の捉え方が変わった

変わりたい方向へ順風満帆に動いていったわけではなくて

通らずに済むなら通りたくなかったことも沢山ある

でも、結果良くなっていることもあって、

なんで私はこうなんだろう、というへこたれそうな気持ちに

どっぷりと浸った先に見えるであろう光への期待を持たずにはいられない

人はみんなそうなんだろうと思う

だからこそ生きていられる

でも、その光を見るためにわざわざ苦しみを味わいに行く必要はなく

ただ自分自身を信頼してどっしりとしていれば良い

それを教えてくれたのが呼吸だった

呼吸や動きへの知識は

現代果てしなく多くのものがある

それを学ぶのもいいのだけれど

忘れてはならないのは、自分がどう感じるか

そして、感じたものを大切にすることだ

そこに全ての答えがあり

そこから全て始まるのだと思う

それは、何かあった時にというわけではなく

日々の中で最も大切にして行くことがそれなのだ

いつも忘れずにいたい

 

ここまで↑↑↑↑↑

何があった時に書いたものか忘れてしまっているけど、

「自分自身がどう感じるか、それを大切にする」というのは

1ミリも変わってない。

 

フルタイム雇用で働いていると、全ての収入源がそこに依存するので

自分の意思というものは会社の意思に簡単に潰される。

それに慣れて諦めてもいけないし、

慣れずにずっと戦っているのも辛いものがある。

じゃあ、どうしたい???

 

私が出した答えは、

「自分を大切にしたい」だった。

その時の私にとってはそれが「やめる」ことだったというそれだけ。

 

自分で選んだからこそ、次への覚悟ができたんだな。

 

それを考えると、やはり「私」という主語で動いていくことが

どれだけ大事なことなのか、あらためて実感する。

 

本当の意味で自分を大切にできるのは自分しかいないのだから。